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雪の小田代ヶ原 [山行]

 去年の暮れ雲取山でぎっくり腰になった。安静にしていたおかげでどうやら直ったようだ。
きつい山行は無理と思ったので、足馴らしをかね日光の小田代ヶ原に行った。
○平成26年1月12日(日)
自宅7:00-9:30赤沼茶屋9:50-12:20小田代ヶ原展望台13:20-14:15赤沼茶屋-ペンション(泊)
歩行距離:8.3km 所要時間:4時間25分(歩行:3時間5分 休憩:1時間20分)
走行距離:210km
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 雪道の走行を考えなくてならない。
 去年9月の点検で、タイヤが減っているので後10,000kmで交換が必要と引導を渡されていた。ホイル付きのスタッドレスタイヤもあるがこれもすり減って危険だと言われ庭に置いてある。この機会にタイヤの交換とすり減りタイヤを処分することにした。夏用タイヤかスタッドレスタイヤかどのタイヤにするか迷ったが、結局グッドイヤーのオールシーズンタイヤに決めた。夏期のドライ路・ウエット路面から、冬期の突然の軽微な雪道までタイヤを履き替えることなく走行できるという謳い文句のタイヤだ。
 オートバックスとかの量販店には置いてなかったので、ネットで注文し、取付はこれもネットで探してタイヤを持ち込んで交換してもらった。215/60R16を4本、夏タイヤ4本とすり減っていたホイール付きスタッドレスタイヤ4本、計8本の処分も含め費用は81,810円であった。高いのか安いのかよくわからないがまあ妥当な金額かな。
 走った感想は、フニャフニャ感はあるがスタッドレスほどではない。走っているうちに慣れのせいもあるのかあまり気にならなくなった。

 以前雪道の下り坂でスピンしひどい目にあったので、スコップ、ジャッキ、シート、念のためタイヤチェーンも用意した。
 準備は万全である。
 

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 意気込んで出かけたが、幹線道路は除雪されており赤沼茶屋までは、オールシーズンタイヤ、タイヤチェーンなど万全に準備したものの出番は一切なかった。


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 幹線道路から赤沼茶屋駐車場へ向かう道路は雪がついていた。この雪道を走った限りではオールシーズンタイヤはスリップすることもなく、雪をグリップして問題なく走れた。


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 駐車場は雪で入ることができないので道路に駐車。
 
 天気は晴れ、空気も澄んでいる。男体山の頂上からはきっと素晴らしい展望が見られることだろう。
 今日は登らない、残念だ。

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 雪は深い、1mは積もっているか。
 
 トレースがついていて踏み固められているので、たどっていけばスノーシューは必要なくしばらくは登山靴のまま進む。


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 振り返れば木立の間から男体山。


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 小田代ヶ原へ1.3km。このへんから雪が柔らかく足がもぐるようになった。


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 他の人とすれ違った時トレースを外れると膝下まで雪にもぐる。スノーシューを付けた方が楽なのでここで履いた。
 
 スノーシューがきいて軽快に歩ける。風はなく寒さは感じない。


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 小田代ヶ原には鹿侵入防止用の柵が周囲にあり、入口のゲートをくぐって小田代ヶ原に入った。
 一面の雪の原、絶景です。雨が降るとここが池のようになるらしい。一度見てみたい。


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 湯滝方面への分岐についた。小田代ヶ原の北端である。



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 左右対称の合わせ鏡のような風景。


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 木立の上、ぬけるような青空。


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 小田代ヶ原展望台付近から。右から、男体山、大真名子山、子真名子山、太郎山の揃い踏み。中央に小さく貴婦人と名づけられたシラカンバの木。



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 貴婦人のアップ。すっぴんである。朝もやの化粧があれば幻想的な雰囲気をもつ貴婦人となる。


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 バス停の待合所で昼食。ガソリンストーブで、白菜と豚バラ肉の重ね鍋をつくる。作ると言っても一人前がパックになって売っており暖めるだけでOK、簡単である。〆はラーメン、おいしかった。家にホワイトガソリンが1リットル残っているので使い切るまでガソリンストーブを使用することにした。次は雲取山でチゲ鍋でもやるか。

 帰りは閉鎖された道路を行く。スノーシューでは歩きづらいので外してザックにくくりつける。

 しばらく歩くと小川にいき合い橋を渡り小川に沿って進む。この小川は戦場ヶ原が源となっている。下流に行くと竜頭の滝となり地獄川という似合わない名の川となり中禅寺湖に注ぐ。中禅寺湖から華厳の滝となって流れ落ち、下って鬼怒川と合流し遠く茨城県水海道市で利根川に流れ込み太平洋へと注がれる。水となって流れていけば太平洋まで行けるのだ。


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 赤沼茶屋に帰ってきた。天気には恵まれ、ハイシーズンの頃のように団体に会うこともなくのんびりと静かな雪景色を満喫できた。



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 駐車場へ向かう道路からの男体山。雪が少し溶けている。

 今回、雪道は赤沼茶屋の駐車場に向かう道路だけだったので、オールシーズンタイヤの性能を十分試すことはできなかった。次は雲取山へ行くのでどのような威力を発揮できるのか楽しみである。
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雲取山でぎっくり腰 [山行]

12月22日、23日で雲取山へ行った。
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 歩行距離:23.5km 所要時間:13時間40分(歩行:11時間20分 休憩:2時間20分)
 走行距離:280km

 12月の三連休、妻は仙台へ旅行に行った。
 この機会に私は一人山に行くことにする。薬師岳の帰り、私と同年輩の人がテントを背負って登っているのを見て、「あの人ができるなら俺もテント泊するぞ。」と決意した。薬師岳で混雑した山小屋に泊まったせいかもしれない。
 今回はテント泊が第一目的である。妻と一緒だとそれなりに気を使うが、一人なら気が楽だ。テント泊の不便さも自分一人が我慢すればそれで済む。食事も適当でいいし、嫌になって引き返すのも自由だ。
 山はどこにするか。車で行けて、遠くなく、あまり険しくなく、きつくない所を探して雲取山にした。山小屋も通年で営業しており何かあったら避難すれば良い。

 テント、ガソリンストーブ、シュラフなどを引っ張り出すが、5年前に甲斐駒ヶ岳、千丈岳に行ったとき以来使用していない。日帰りや小屋泊まりではガスコンロを使っていたが、以前冬の戦場ヶ原で寒くてガスが気化しないことがあったのでガソリンストーブにした。
 テントの張り方、ガソリンストーブの使い方はうろ覚えだったので、部屋の中でテントを張り、ガソリンストーブが点火できるかどうか試してみる。


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 テントは簡単に張れたが、ガソリンストーブは説明書を見ながらやってようやく点けることができた。燃料のホワイトガソリンは、子供が小さい頃キャンプで使用した残りが3缶あり物置にあるのを発見した。15年前のものだったが大丈夫だった。バーナーの根本を暖めてガソリンを気化させるため、バーナーの根本にある小皿にガソリンを入れ火を点けプレヒーティングするが、このとき火がテントに燃え移る心配があるので折りたたみスコップを火の上にかざして延焼防止することにした。ガソリンストーブの火だるま事件は結構あるらしいので用心にこしたことはない。



 5時家を出発。東関道、首都高を経て中央道に入り八王子ICで高速道路を出て一般道へ。青梅街道に入ると眠くてどうしようもなくなった。道路のセンターライン側に寄ることが数度あり危険を感じた。途中で車を止め15分ほど仮眠した。再び運転した時は気分すっきりというほどではないが眠気は80%解消された。

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 鴨沢の駐車場に着いたのが8時、持ってきたバナナを2本食べ身支度を整え8時30分出発。家でテント一泊分の装備の重さを量ったら18kgあった。いつもは5、6kgの重さなので約3倍の重量だ。右膝を前に出しザックを乗せ、ショルダーベルトに右肩を入れ、ザックが横倒しにならないよう右手で保持しながら左肩を入れて背負う。ずっしりくるがまあ大丈夫だろう。

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 駐車場上のフェンス沿いにコンクリート敷きの歩道があり、これを進むと登山道に入りしばらく歩くと林道に出てそこに駐車場があった。小袖の駐車場で既に満車である。本当はここに止めたかったが、日曜祝日のこの時間帯では無理な話である。


 9時、登山口に着く。4時に摂った朝食から5時間経過している。小腹もすいたし本格的な山歩きの前に腹ごしらえ。賞味期限が今日となっていた50%引きのサンドウィッチを食べる。


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 登山道には雪が積もっていた。杉林の中の登山道。このような道が延々と続く。普段より荷物が重いのでゆっくり歩く。後続の人に次々と追いつかれ道を譲る。


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 七つ石の巻き道。だいぶペースは遅い。あわよくば雲取山荘まで行きたかったが無理だろう。今日の目的地は当初予定どおり奥多摩小屋までにする。


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 富士山が見えた。今回は富士山の写真を多く撮りそうだ。


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 14時ようやくブナ坂に着いた。


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 ブナ坂から奥多摩小屋方面。奥多摩小屋までもうすぐだ。

 ここまで登山靴のまま登って来た。雪はあったが登山道の傾斜が緩いので特に苦労はしなかった。平ヶ岳に行く時濡れた木道の滑り止めとして買ったリバーシブル グリッパーに凍結雪道用のスパイクがついているので、ものは試しに使って見ることにした。


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 15時奥多摩小屋近の幕営地に着いた。奥多摩小屋でテント設営の申し込みを行い、テント設営のための雪均し。雪がふわふわでなかなか締まらない。登山靴で踏んでも踏んでも飛び散ってしまう。


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 設営完了。ペグが効かないので苦労した。


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 日没まで1時間。今日は冬至で昼間が一番短い。昨日より1分日の出が遅く、明日は日の出の時刻は同じだが日の入りが1分遅い。


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 テント泊の人は結構多い。
 水場に水を汲みに行った帰りに陽が暮れた。急速に気温が低下しかなり寒いと感じる。


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 テントの中に入りとりあえず固形燃料で湯を沸かしウイスキーお湯割りを作る。まだ4時30分。気温はこのテントの中で-10℃、今夜は、長く寒いつらい夜になりそうだ。ガソリンストーブを点ける。プレヒーティングの炎が燃え上がるのでスコップでカバーする。点火するとボォーという音がしてすぐ暖かくなる。すごい火力だ。お湯を沸かし夕食のインスタントラーメンを作る。


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 テントの中で三脚を使い記念写真。



 ガソリンストーブを消すと急速冷凍ではないが瞬時に寒くなる。三人用のテントに一人なのでなおさらだ。
19時なったのでトイレに行こうと思いテントから這い出ようとしたら両足の太ももがつってしまった。「イテテテテ」


 奥多摩小屋のトイレから帰り、寝袋にもぐり込む。寒い、とにかく寒い。羽毛シュラフが41年前に買ったものなので羽毛の復元性が低下している。広げるとペッタンコである。寒くて寝られない、何回も寝返りをうつ。時間の経過が遅く感じる。1時間くらいたったのかと思い時計を見ると10分しかたっていない。時刻は20時40分これで明日の朝まではつらい。そのうち寝返りをするのが15分から20分間隔程度なのに気づいた。まず右向き、次に仰向け、最後に左向きで約1時間である。意識してこのサイクルを繰り返せば、自分の感ずる時間経過と実際の時間経過が一致するので時計を見てがっかりすることはないはずだ。
 
 22時頃、なお寒くなったので防寒ブルゾンを着る。これで持ってきたものは全て身につけた。
 
 夜中、たぶん23時頃だろう、寝返りとしようとしたら突然腰が痛くなった。ズキンとくる痛さで、以前車から荷物を降ろそうとして患ったぎっくり腰と同じ症状だ。「ウーウー」唸りながら寝返りをして、くしゃみをしたら腰にズキッときた。間違いなくぎっくり腰である。こんなところでぎっくり腰になるとは思わなかった。明日、行動できるか心配になった。

 時刻は1時、なお寒さが増した。気温が-15℃、眠った覚えはないがウトウトくらいはしたらしい。固形燃料のメタでお湯を沸かしウイスキーを入れて飲む。


 3時になった。じっとしているがつらいので、早いが朝食の支度を始める。テントの床が雪で凸凹しているので変な姿勢となり腰が痛い。痛くない体勢を探して座り直す。朝食はレトルトの雑炊、帰りの荷物を少しでも減らすため2袋食べた。昨日の行動食の余りのチーズ、煎餅も平らげた。

 テントの中を整理して5時20分雲取山に向かう。荷物は三脚とカメラののみ。まだ暗い。寒い。腰が痛い。ヘッドランプ点け歩幅を小さくして雪の中を進む。空身に近いのにペースが上がらず後続の人に次々と抜かれ、あっという間に離されてしまう。荷物を背負っての帰りが心配になる。最悪の場合は小屋にサックをあずけ空身で下ろうかとも考えた。腰の事も考えひどくならない内に引き返そうかどうしようかと迷いながら進んでいると次第に明るくなり雲取山の避難小屋とそこで御来光を待っている人が見えた。
 こうなると登るしかない。
 最後の急登を登り切ると5時35分、日の出前15分間に合った。


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 御来光。雲が二段になっていて、下段の雲と上段の雲の間から見える。



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 御来光のアップ。


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 上段の雲に隠れる様子のアップ。


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 再び上段の雲から出た様子。


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 富士山をバックに写真を撮ってもらう。腰の痛さはもう忘れている。引き返さないで良かった。
 雲取山の頂上はここから少し行ったとこらだが今日のところはここで引き返すことにする。

 展望を満喫し7時5分に下り始める。転けると腰に響くので慎重に下る。使う筋肉が違うのか登りより腰にこない。これなら荷物を背負って帰れそうだ。
 登りは1時間15分かかったが下りは55分だった。テントを撤収して、8時40分奥多摩小屋出発した。腰はズキッとはこないが疼痛がある。無理をせず、転けないようゆっくり下る。30分に1回休憩するようにした。


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 七ツ石の巻き道。少し長く歩きすぎたので腰がつらい。昨日は快晴だったが今日は曇りだ。


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 やっと着いた。ほっとした。よかった。後は安全運転で帰るのみ。
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車庫改装の記録 [DIY]

 27年前家を建てた。その時にスチール製の屋根付き車庫を組み立てた。その時の車はサニーだった。
 サニーからタウンエースに車を買い換えたら、タウンエースの車高が高く車庫に入らなかった。仕方がないので基礎のブロックを二段積み増しして車庫の嵩上げをした。
 5年前、全体的に錆が目立ち見栄えが悪くなってきた。土台、支柱が腐食して支柱がぐらぐらしてきた。このままでは危ないので、車庫建屋を2×4で建て替えた。
 最近は山に入っていないので古い話ではあるが、今回の記事はその車庫改装の記録である。


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 これは車庫嵩上げ工事中の写真である。
 車庫内部に単管パイプを組んだ。上部には並列して2本の単管パイプを設置しその上にブロックを乗せ車用のジャッキをセットした。ジャッキは車庫の4角と中間の梁の両側、計6ヶ所にセットした。ジャッキは近くの解体屋から1個200円で買ってきた。

 当時は単身赴任中だったので5月の連休中に集中して工事をした。
 長い間車庫を浮かしたままだと、風が吹いたり外力が作用するとなにが起こるかわからないので、短期間で完了するようにした。最初手練りで考えていたモルタル練りは時間短縮のため、モルタルミキサーをレンタルして行った。モルタルミキサーはタウンエースに積んで運ぶ事が出来た。


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 車庫東側のジャッキセット状況。


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 車庫西側のジャッキセット状況。


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 車庫の土台はアンカーボルトに固定されていたのでナットを外してからジャッキで車庫全体を浮かせた。浮いた隙間にブロック2段積み増し、既存のアンカーボルトに長ネジとバルトを長ナットで継いだ。ボルトにはあらかじめナットを嵌めておきこれを締めて土台と固定した。


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 犬のウイリーも覗いている。
 ブロックを積んでボルトを埋めた。次は車庫を下げる。車庫を徐々に下げていき、ブロックのボルトに土台の孔を合わせる。奥の方のボルトから合わせていったが、入り口側がボルトと土台の孔が2センチ程度ずれて入らなくなってしまった。浮かしているうちに多少変形したらしい。一瞬真っ青になったが、ブレースのターンバックルを緩め、角材をかましてボルトと孔を合わせようやく所定の位置に下げることができた。


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 嵩上げから12年後の車庫の状況。だいぶ錆を出ている。これを解体撤去し2×4工法で立て替える。私は2×4工法で家を自作したので今回の車庫改装も2×4工法で建て替えようと思いついた。車庫の中にあるのが、その2×4材である。

 2×4材に代表される「2×材(ツーバイ材)」とは、2×4工法に使われる木材のことで、日本で古くからある工法は柱や梁などで建物を支えるが、アメリカの2×4工法では壁や床などの「面」で建物を支えます。「面」をかたち作る枠組みに2×4材が多く使われる。
 2×4材は木口の厚さが2インチ、幅が4インチであることからこの名前がついているが、乾燥させる段階でサイズが変化するため実寸では厚さが1.5インチ、幅が3.5インチ程度で規格化されており、メートル法に直すと38mm×89mmとなっている。床根太などではスパンにより2×6、2×8などの幅の広いものが使用される。



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 解体は壁のパネル撤去から始めた。1枚おきにパネルを外し終えた時気がついた。このまま壁を全部外したら、支柱だけでは屋根を支えきれないと。
 そこで急遽屋根を撤去するこにした。


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 <折板屋根の事例>  
 屋根は写真のような折板屋根で止めているボルト、ナットが完全に錆びており、CRCを吹き付けてスパナでナットを回そうとしてもナットが痩せていてスパナが空回転する始末であった。仕方がないのでバイスグリップで掴み無理矢理ボルトの軸をひきちぎるようにして外した。このボルトの数が多く解体で一番苦労した作業だった。


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 解体ほぼ完了。残りは土台撤去だけ。

 

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 車庫嵩上げに使った単管パイプで足場を組んだ。


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 ブロック塀と車庫の基礎との隙間が30センチしかない。この後、壁組などの作業で苦労することになる。


 基礎ブロックに厚さ2センチのモルタルを塗りその上に土台を乗せた。土台は2×4を使用した。理想としては4×4で基礎と固定するボルトを土台断面内に納めたかったが、コストダウンのため2×4にした、2×4材では厚さが38mmしかないので固定するボルトが突き出してしまう。そのため土台の上に乗る下枠にボルトを貫通させる孔をあけた。


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 写真はそのボルトと孔の位置を合わせた状況。


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 土台の全景。手前にあるのが奥(南側)の壁枠を組んでいる途中の写真。
 壁枠は所定の位置に建て込んだ後、厚さ9mmの構造用合板を2×4の枠に釘で打つ。2×4では釘の種類と間隔が決められており、壁の構造用合板の場合は長さ5センチの専用釘を15センチ間隔で打つことになっている。釘は家を建てたときのものがたっぷり余っていたのでそれを使った。



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 壁枠をほぼ建て込んだ状況。奥の南側の壁は合板を張り終えた。合板を張っていないと変形するので筋交いで変形を防止する。



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 正面と奥の一部を除き合板を張り終えた。


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 正面上部の合板も張り終えた。残るは奥の右側の合板のみ。 


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 車庫西側の状況。開口部には窓サッシをつける予定。



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 壁枠相互を頭つなぎで連結し小屋組となる。
 天上根太は2×6、棟木は2×8、垂木は2×4を使用する。


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 入り口側の小屋組。けらば垂木、ころび止めなど加工が多く時間がかかった。


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 屋根の野地板を張り終えた状況。ここまでくるとだいぶ形になってきた。


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 アスファルトルーフィングを敷き、けらば水切り、水切りの取付。金切り鋏で端部を加工するのが面倒だった。


 屋根の材料を何にするか一番悩んだ。屋根勾配が急であれば材料の選択範囲が広がるが、急ににすると物が置けないし、作業中の姿勢もきつくなる。色々調べて、釘で固定するので施工が簡単で緩い勾配でも対応できるアスファルトシングルに決めた。


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 アスファルトシングルを屋根に上げるのに梯子をかけた。


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 山用の背負子でアスファルトシングルを運んだ。10枚包みになっておりこれで約13kgある。
 家を建てた時はカラーベストコロニアルだった。1枚3kgあり全部で500枚使用したので総重量1.5tを背負子で上げた。10枚づつ30kgを背負い50回繰り返した時はさすがにバテてしまった。その時使った背負子をまた使うとは思わなかった。

 とくかく大変なのは、材料、工具など作業場所まで運ぶことだった。また技術的に難しいのは、寸法どおりに材料を切断し、水平、垂直に設置する最も基本的なことだった。


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 屋根葺き完了。

 
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 苦労したのはシャッターの取付だった。
 既存のシャッターは左右のブラケットで固定されていた。元のブラケットを壁につけると2×4の壁厚分だけブラケットの間隔が狭まるのでシャッターのシャフトが入らなくなってしまった。そこでシャフトの幅に合わたブラケットとシャッターカバーを手造りすることにした。


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 ホームセンターでブラケットを買ってきた。シャッターの重量を支えなくてはならないので、ブラケット2個を上下にあわせて壁に固定した。シャフトの軸受けだけは再使用、軸受けは金属用の接着剤でブラケットに接着し上下をネジとクランプで固定した。


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 シャターカバーは木製のブラケットを作成し合板を張って作成した。


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 シャターカバー部の拡大写真

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 シャターカバーに合板を張り、両脇にガイドを付けシャッター取付完了。


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 外壁の前に防水紙を張る。


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 外壁はこれまた施工が簡単なサイディングにした。妻部、シャッターカバーはガリバリューム鋼板を張ることにした。 


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 とにかく狭くて苦労した。特にブロック塀側は空いている幅が30センチしかなく。おまけに足場が設置されているので、特に下側のサイディングを張るのが大変だった。物を落とすとそれを拾うのが一苦労であった。



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 サイディング完了。



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 木部の塗装前の養生。


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 足場解体完了。これでようやく完成である。
 5月4日に着工し、完成は8月11日であった。

36年前の靴で三ツ峠山に登る [山行]

○平成25年11月16日(土)
自宅4:00-6:15三ツ峠グリーンセンター6:45-7:10神鈴の滝遊歩道7:10-7:45達磨石7:45-9:50八十八大師9:55-10:50三ツ峠山10:55-11:10長者平11:40-12:50送電鉄塔13:00-14:10カチカチ山14:20-14:45伊豆急河口湖駅-三ツ峠駅-三ツ峠グリーンセンター-自宅
歩行距離:15.3km 所要時間:8時間(歩行:6時間10分 休憩:1時間10分)
     歩行距離は三ツ峠グリ-ンセンターから河口湖駅まで
走行距離:302.5km

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 三ツ峠山はこれまで5回登ったがいずれも金ヶ窪沢からの裏登山口ルートであった。このルートは途中たいした見所はないが、約1時間で三ツ峠山頂まで行けるのがメリットである。今回は他の方のブログ記事を閲覧し、見所の多い三ツ峠駅からの表登山口から登り、帰りは府戸尾根から河口湖方面に下りることにした。
 山を下りたら伊豆急行の河口湖駅から三つ峠駅まで電車に乗って駐車場まで帰る計画だ。

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 結婚した次の年に登山靴を買った。今から36年前である。この靴で槍ヶ岳と燕岳に登ったが、その後仕事が忙しかったり、子供が生まれたり、なんだかんだで山に行かなくなり、靴の存在を忘れ10年前に登山を再開した時には新しい靴を買った。
 つい先日屋根裏を整理してこの靴を発見した。足を入れてみると指先が少しきついが履けないことはない。今の靴はだいぶソールが減っていたので張替えようかと思っていたのでちょうど良かった。一抹の不安はあるがこの靴を履いて行くことにした。

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 三つ峠グリーンセンター駐車場についたのが6時15分。首都高から中央道、大月JCTから河口湖方面に分岐し都留ICで一般道に。途中渋滞もなく順調に来ることができた。車はだいぶ上の方まで行けるがあまり上に行くと帰りの三ツ峠駅からの歩きがつらくなるのでこの駐車場した。ここは駅から15分程度で来られるはずだ。

 路面が雨で濡れていたが、今は雨も止み空は晴れている。外は空気が冷たく寒いほどだ。朝食を食べ身支度を始める。36年前の靴に足を入れ靴紐を結ぶ。昔の靴は硬くて重い。家で重さを量ると2.4kgであった。ちなみに今まで履いていた靴は1.1kgである。歩くと硬さが良くわかる。靴のつま先が曲がらない。靴底に鉄板でも入っているような感じである。右のかかとが少し当たる感じがするので、どうやらまめができるのは覚悟しなくてはならないらしい。



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 6時45分、登山道入り口の看板を見て歩き始める。道路は舗装されており硬い靴では少し歩きづらい。



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 30分ほどで神鈴の滝遊歩道に着いた。落ち葉がクッションとなり舗装道路より歩きやすい。紅葉がきれいだった。左側が渓谷で階段上の岩盤を水が流れ落ちている。神鈴の滝はこの上の方だ。



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 遊歩道から再び舗装道路に出た。日が昇り天気快晴。見上げると三つ峠山の屏風岩が良く見えた。三つのピークがありこの方角からみると三ツ峠山という名称にぴったりだと思える。裏登山口からはこの特徴ある山の形がわからなかったので今日は来て良かったと思った。登山ルートは屏風岩の下をトラバースするようになっている。



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 しばらく歩くと舗装道路は閉鎖されていた。小さな橋を左に渡り少し上ると達磨石である。



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 達磨石から下を見たところ。ここまで車で来られるが駐車スペースは少ない。



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 富士山がよく見えた。ここは股のぞきである。富士山は6合目あたりまで冠雪している。やはりこの冠雪している富士山が最も富士山らしい姿である。



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 これ全部が弘法大師の像。江戸時代に、四国へ行くのが大変だからと四国遍路の代わりに八十八の弘法大師像を祀りお参りをした。この大師像を「八十八大師」と呼んだとのこと。妻が数えたら76体しかなかったと言っていた。山梨日日新聞の記事では81体が保存されているとのこと。



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 近くにある三ツ峠山を開山した空胎上人のお墓。



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 ここが親不知。三ツ峠四世修善が登山者の安全を祈願して刻んだ石碑で南無阿弥陀佛などの文字がある。
安全祈願の石碑なのに何故親不知なのだろうか。

 このあたりまで来ると靴擦れができたのか右足のかかとが痛くなってきて、左足の外側のくるぶしも靴にあたっているらしく痛くなってきた。



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 経文を一字ずつ石に写経したものを一字一石経というが、実際行うのは大変な作だったと思う。きっと深い意味があるのだろうが無信心、無宗教の私には昔のお坊さんのやることはわからない。

 屏風岩の下をトラバースすると急登となる。そこを登り切ると山小屋「四季楽園」の休憩所テラスに出た。少し下ると「富士見小屋」があり、その脇から山頂に向かう。この時刻になると踏みつけられ固まって凍った霜柱の表面が溶けていてドロドロになっていた。



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 登ってきた登山道では三組の人と出会っただけだったが、ここまでくるとだいぶ混雑していた。頂上も人が多く「三ツ峠山」の石碑がある記念写真スポットは順番待ちだったので少し離れた場所で証拠写真を撮った。逆光だったので人物は真っ黒になってしまった。


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 補正をかけたのがこの写真だがなんと目を閉じていた。



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 三ツ峠山から見た富士山であるがなんとなくかすんでいる。



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 平成23年2月に来た時の写真である。冬の空気がすんでいるのがわかる。

 この時は裏登山口から登り御来光を拝もうとしたが、朝5時で既に駐車場は満杯。来た道を戻り、ようやく駐車スペースを探し出発する頃には日の出の時刻は過ぎてしまった。山頂付近の撮影スポットは人が大勢いた。立派なカメラを三脚に据えて撮影しているおばさんも多くいて驚いた。前日から山小屋に泊まり込んでいる人たちは車での送迎もあるらしい。裏登山道は三ツ峠山荘まで車で来られるのだ。
 またこの季節の富士山が見たくなった。今度は冬にこのルートを登ろうかな。



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 以前山小屋「四季楽園」から少し離れた長者平の端に、ジョン(たぶんジョンだと思う)という名の大きな犬がいた。人なつっこい犬でくるたびに会えるのが楽しみだった。この写真は平成20年1月のものだが次の年に来たらジョンはいなくて黒い小型犬がいた。今はその小型犬もいなかった。



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 甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、仙丈ヶ岳、悪沢岳などの南アルプスの山々である。来年は、悪沢岳、赤石岳、聖岳、光岳に登るぞ。そうすれば南アルプスの百名山制覇は完了である。



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 長者平で昼食。ここからの三ツ峠山はアンテナなどの人工物があっていただけない。



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 府戸尾根を下る途中開けた場所があり、都留市街、中央高速がよく見えた。奥にある山塊は方角的に丹沢かな。

 府戸尾根は緩やかだが長い。途中適当な休憩場所がないので痛い足を我慢して、下る。下る。下る。下り続ける。



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 1時間ほどで鉄塔に着いた。河口湖がよく見えた。ここで半分ほどだ。



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 さらに下ると舗装道路に出くわし、これを越えて天上山へ。天上山山頂には小御嶽神社があった。小御嶽神社は浅間神社と同じく他にもいくつかあるようだ。
 ここまで来ればカチカチ山ロープウェイ富士見台駅までもうすぐだ。



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 富士山が世界遺産になった影響か、富士山がよく見える富士見台駅はすごい人混みだった。今日は天気が良いのでなおさらだろう。長い行列の後ろに並びようやく乗車できた。満員で詰め込まれ景色をほとんど見ることができなかった。



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 湖畔駅に着いて驚いた。登りのロープウェイに乗るため長い長い行列ができていた。これなら歩いて登った方が早いのではないかと思うほどの長い行列だった。

 これから三ツ峠グリーンセンターまで戻らなければならない。伊豆急行の河口湖駅から三ツ峠駅までは電車となる。とりあえず河口湖駅までだが、靴のせいか左足の甲と硬い靴底のおかげで足の裏全体が痛くなっている。バスに乗りたいと思ったが、観光客が多いためか道路が渋滞している。バスがいつ来るかわからないので、仕方なく歩くことにしたが、足が痛いので妻の歩くスピードについて行くことができなかった。

 河口湖駅も人が多く混雑していた。外国人も多くいた。自動券売機で乗車券を買おうとしたら外国人から話しかけられたが何語がわかない。何語かわからなければ何を言っているかよけいわからないが、どうやら券売機の使い方がわからないらしかったので、私の買い方を見せたら何とか目的地までの券を買えたようだ。発車まで時間があったので、固くて有名な吉田うどんの「カレー吉田うどん」を食べた。固いから注意して下さいとの注意書きがあったが、以前、吉田うどん専門店で食べた時ほど固くはなかった。



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 電車には機関車トーマスの絵が描かれており、これをバックに方々で子供の記念写真を撮っていた。



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 三ツ峠駅からグリーンセンターまでが遠く感じたがやっと着いた。足は痛かったがピーカンの天気で展望は良く満足できる山行だった。

 さて36年前の靴だが、足に慣らして履き続けるか、今までの靴のソールを交換するか悩むところではある。
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ピーカンの薬師岳・最高! [山行]

○平成25年10月12日(土)
自宅7:10-15:25有峰ハウス
○平成25年10月13日(日)
有峰ハウス4:55-5:15折立ヒュッテ 5:30-6:05標高1450m 6:15-7:20三角点7:30-8:40五光岩ベンチ8:45-9:35太郎平小屋10:10-11:00薬師平11:05-11:55薬師岳山荘12:20-13:15薬師岳13:30-14:15薬師岳山荘
○平成25年10月14日(月)
薬師岳山荘5:15-5:45薬師岳6:10-6:30薬師岳山荘7:05-7:35薬師平7:45-8:30太郎平小屋8:35-9:10五光岩ベンチ9:20-10:15三角点10:20-11:35折立ヒュッテ-自宅
歩行距離:23.4km 所要時間:14時間25分(歩行:11時間50分 休憩:2時間35分)
走行距離:1,024km
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 北アルプスで登っていない百名山は、黒部五郎岳、水晶岳、薬師岳の三座である。遠くて奥深い処だと思っていたので後回しになっていた。この三座のうち薬師岳は富山県にあり自宅の千葉からは遠いが折立の登山口からは山小屋1泊で往復できるので、10月の連休で薬師岳に行くことにした。

 宿泊予定の薬師岳山荘は連休がシーズン最後の営業日となるので混雑が予想された。混雑を避けるためには平日に行くのがベストだが働いている身としてはそんなに休みを取ることはできない。なんとかやり繰りし11日(金)休みをとり、出発は10日(木)夜、11日(金)、12(土)で薬師岳往復を予定した。下山するのは12(土)昼過ぎとなりこの足で千葉まで車で帰るのはきついので諏訪で1泊することにしてネットでホテルを予約した。  気になるのは天候の情況だ。週末に近づくにつれ悪くなり、11日(金)は何故か薬師岳のある北陸地方だけが天気が悪い。
 せっかく遠くまで行くのに天気が悪いのだけは避けたいので日程を1日ずらし、出発を11日(金)夜、登るのを12日(土)早朝として、とりあえずホテルはキャンセルした。加入している有料の山の天気専門サイトでチェックすると、12日(土)は稜線で暴風雪、13日(日)朝は霧で晴れるのは午後からとの予報であった。ガーンである。一方薬師岳山荘のホームページの記事では連休は良い天気に恵まれるとの記事がでていた。
 どちらを信じるか迷ったが、やはり現地の情報が信用できるのではないかと思いつつ、出発前の11日(金)夕方、薬師岳山荘のホームページの記事を見ると更新された最新版では連休の天気は悪いとなっていた。やはり山岳専門の気象予報士はプロである。たいしたものである。有料でお金を払う価値は十分あると感じた。

 そこで再度日程を1日ずらし、13日(日)に登ることにした。連休の行楽地までの道路は混雑が予想された。ネットで渋滞予測を調べると最短ルートの中央道は45kmの渋滞発生、松本インターから上高地へ行く国道158号も渋滞が予想された。色々検討した結果、関越道から上信越道さらに北陸道を経由する迂回ルートで行くことにした。距離は約500km、最短ルートの中央道経由より100km長い経路となる。
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 関越道の藤岡JCTまでは断続的に渋滞があったが、ここを過ぎると順調に走れた。小布施PAで休憩して外にでると涼しいというより寒いくらいだった。空は晴れており本当に山は暴風雪なのかと思ったが、妙高高原付近から曇りだし新潟県に近づくにつれ雨が降り出した。北陸道に入ると完全な雨模様。長いトンネルが多くワイパーの切り替えをしながら走った。立山ICで高速を出るころには雨はあがっていた。有峰林道を経て有峰ハウスに着いたのが15時15分、駐車場、道路は濡れており雨があがったばかりのようだった。
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 有峰ハウスは富山県の施設で有峰における森林文化活動や薬師岳登山などを目的とした、個人や家族、グループ、団体などの宿泊所として提供されている。夜8時頃雨が降り出した。屋根をうつ雨音がやけに大きく明日晴れることを祈り布団にくるまった。朝4時に起床、外はまだ暗く窓を開けて空を見上げると満天の星空であった。良かった今日は期待できる。お握りの弁当を朝食代わりに食べ、4時55分有峰ハウスを出た。

 折立ヒュッテの駐車場まで20分かかった。まだ暗い中支度をしてヘッドランプを点け5時30分出発した。登山道を登り始めるとすぐ薄明るくなりヘッドランプの必要は無くなった。登山道は木の根が露出し傾斜は多少きついが平ヶ岳の台倉尾根ほどではなく歩きづらいというほどではない。

 30分ほど歩いたらアラレちゃんの看板があった。何故アラレちゃんなのよくわからないが心が和む。著作権はどうなっているのだろうとつまらないことが気になった。
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 展望のない樹林帯の中をさらに進む。駐車場に着いたときは寒かった。歩いていると暖かくなるが汗をかくほどではなくコンデションは上々。気持ち良く歩くことができていた。

 三角点に着くと展望が開けていた。天気は文字通り雲一つ無い快晴だ。薬師岳に登るまでこの状態を保っていてもらいたいものだ。
 北東の方角にプラミッド形をした剣岳が見えていた。直線でここから20kmの距離だ。
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 三角点を過ぎるとなだらかな尾根道となる。登山道は木の枠に石が敷き詰められていて、石が整然と並べられているところと乱れているところがあるが全体的には良く整備されていて歩きやすかった。

 登山道は東から東南東に向かっているので常に太陽が前面にある。眩しいので下を向いて歩いていたが、ふと顔を上げると前を行く妻と太陽が重なり太陽に向かって歩いているような構図になっていた。
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 薬師岳には昨日降ったらしい雪が積もっていた。やはり山の天気予報は正しかったようだ。
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 五光岩ベンチ付近からは前方に太郎山が見えている。
 この写真の左には、薬師岳から続く立山や剣岳が、振り返ると富山市街と富山湾が見えた。天空のトレッキングコースと表現した方がいたがそのとおりだと思った。
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 太郎平手前から木道となった。木道に積もった雪が溶け始めて油断すると滑る。コケないよう木道の上の横桟に足をかけ慎重に進んだ。
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 4時間で太郎平に着いた。今までは風は感じなかったがここでは冷たい風が吹いていた。歩いて暖かくなっていた体はすぐ冷えるので、ジャケットを着込み昼食をとった。

 太郎平から見た薬師岳。正面から少し左の頂が薬師岳で、下って登ったところが北薬師岳。
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 ついパノラマにしてしまった。右から黒部五郎岳、双六岳、三俣蓮華岳、水晶岳に至る稜線である。丹沢の展望は山々という感じだが、ここからの展望は山々というより山岳という表現が合っている。
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 30分ほど休憩し10時10分太郎平を出発。緩い傾斜を下ると薬師峠の幕営地に着いた。いく張りかのテントが設営してあった。幕営値を過ぎると急なガレ場となる。雪が積もって溶け始めているが登りなのでそんなに危ない思いはしなかったが、下りでは注意が必要だろう。

 ガレ場を登り切り薬師平に着いた。薬師平に大きなケルンがあった。こんな大きなケルンにするには大変だ。何個の石が必要になるのだろう。
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 薬師平から50分で薬師岳山荘に着いた。今日の宿泊地である。受付をすませ、荷物を整理しサブザックにナビ、カメラ、少しの行動食を入れ薬師岳に向かった。

 北西から吹いてくる風が冷たく登っていても体は温まらない。登山靴が寒気を通すので足も冷たく少し痛かった。ガレ場を30分登ると薬師岳手前のピーク、避難小屋跡に着いた。昭和38年1月に愛知大学の学生13人が猛吹雪に会い薬師岳手前300mで引き返した際ここでルートを誤り全員遭難死したところだ。
 私も昭和43年1月、高校2年の冬に鳳凰三山に行ったとき、一人が動けなくなり二晩ビバークを余儀なくされ遭難を身近に感じたことがあったので人ごととは思えなかった。その時一人がツェルトを持っていたのでなんとかビバークを切り抜けられた。これ以来どんな山でもツェルトを持っていくことにしている。

 薬師岳はここから約530m先である。

 13時15分薬師岳頂上に着いた。天気快晴、360度の展望。まさにピーカンの薬師岳、最高である。
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 なぜ快晴のことをピーカンというのか調べたら次の説があった。
・広辞苑では映画業界の俗語となっていた。ピーカンの語源は快晴の空がタバコのピース缶の色に似ていたという説、快晴の日はカメラのピント合わせが多少曖昧でも完全に合うことから『ピントが完全』を略したとする説。
・単純に太陽の光が「ピーンと届いてカンカン照り」を略したという説。
・オペラ曲「ある晴れた日に」のピンカートンに由来との説。
本当のところはわかりません。

 登ってきた避難小屋方向。左手に槍ヶ岳、穂高連峰が見える。
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 正面が黒部五郎岳、黒部五郎岳を挟んでいる二つのうち右が御獄山、左が乗鞍岳。乗鞍岳の左のとんがりが笠ヶ岳。
 黒部五郎岳、来年は登るぞ。
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 正面、赤牛岳から水晶岳の稜線。この方角から朝日が昇ってくる。
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 登るときはなかった雪だるまがあった。初雪だるまかな。
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 絶景である。夕日と雲海と雲海の上に頭が見える白山。
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 白山はここから約80kmの距離だ。きっと白山にいる人もこの綺麗な夕日を見ながらあれが薬師岳だと言っていることだろう。小屋泊まりだと日帰りでは見ることができないこの景観を堪能することできるのが魅力である。 明日の朝は薬師岳で御来光を拝むことにする。

 薬師岳山荘は混雑していた。夕食の一番手となり16時30分食堂の席に着いた。この時間でないと最終組が遅くなるので早くせざるを得ないのだろう。それにしても早い、明日の朝食までが長い。
 食事の時、今日が最終営業日ということで、山小屋の女将から挨拶があり、薬罐に入れた熱燗の振る舞い酒とつまみ少々、デザートのサービスがあった。感謝である。
 寝る部屋は一人分の幅が60㎝程度だった。幸いにして壁際で窓側の場所を案内されていた。壁から二列目の人とは足と足が向き合っているが、二列目と三列目の人は頭と頭が向き合っている。足と頭が向き合うよりいいと思うがいびきの大きい人と隣り合った人はとんだ災難となる。混雑すると気が立ってくるのか、寝る場所のことでトラブルがあり一人が別の部屋に移って行った。
 そういえばトノサマバッタは混雑すると脱皮する毎に色が黄色や黒に変化し違う種類のサバクトビバッタになるという。混雑でバッタの種類が変わるくらいだから人間も混雑のせいで気性ぐらい変わるのは仕方ないか。
てなことを思いながら21時に消灯となり、長い夜を覚悟して布団にもぐった。明日は4時起床して4時30分の出発予定だ。

 2時頃目が覚めトイレに行った。その後寝て目が覚めたら5時になっていた。マズイ、寝過ごした。妻を起こして支度をしたら5時30分になっていた。小屋の外に出たら昨日より暖かかった。日の出は6時前なので薬師岳までは行けない。手前のピーク、避難小屋跡まで登ることにした。
 登ってみると空は曇っており、あたりは薄暗かった。既に数人の人が御来光を待っていてその内のおじさんが「もう日の出の時間が過ぎている。御来光は雲に隠れてみえないのでないか。」と言っていた。かなり自信ありげだったのでその言葉を信じて、見えないなら下ろうかと思って下りかけたら、妻が「あっ、見えた」と言った。後ろを振り向くと、赤牛岳の向こう側、三ツ岳と野口五郎岳の稜線から朝日が顔を出し御来光を拝むことができた。
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 薬師岳山荘、その向こうが太郎平、太郎平から右に続く緩く長い尾根が今日の帰り道。結構長い道のりだ。昨日見えた白山はかすんで見えなかった。昨日の天気に恵まれたのは本当にラッキーだった。
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 薬師岳山荘に戻り、朝食をすませ7時5分出発。途中雷鳥に出会った。体の下の方が白くなっていた。今回の初雪で白くなってそれまでは茶色だったのかな。色が変化する様子を見たいものだ。
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 風もなく暖かい。薬師平に着くと少し汗ばんできたので、長袖シャツを脱ぎ、毛糸の帽子から寅壱のタオルを頭に巻き夏山仕様に変えた。
 寅壱とは建設、土木工事の作業服と関連商品を販売しており、特に鳶装束は「作業服のアルマーニ」と呼ばれているブランド品なのである。タオルも真ん中に「寅壱」の刺繍、厚手のタオルであるが頭に巻きやすいように結ぶ箇所は生地が薄くなって結びやすくなっている頭巻きに配慮したすぐれものなのである。

 薬師平からの下りはガレ場で日陰が多く雪が残っていたが、まだ溶けていないので滑る心配はなく順調に歩くことができた。幕営地を過ぎ、木道を進み太郎平に着いたのが8時30分、5分休憩して五光岩ベンチに9時10分に着いた。昨日見えた剣岳はかすんでいて見えない。やはり昨日の天気が最高だったようだ。
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 折立から登って来た人とすれ違ったが、山小屋が閉まるので幕営の装備を持っているのだろうかザックはいずれも大きく重そうだった。年の頃は私とあまり変わらない人がいたので、体力的にテント泊は無理だとあきらめていたが再度挑戦してみる気になった。

 三角点を過ぎ、樹林帯を抜け駐車場に着いたのが11時35分。膝の痛みもなく快適な山行だった。
 丹沢、十二ヶ岳と二週続けての山行の成果だ。家に帰って二、三日経過しても筋肉痛はなかった。

 昨日はこの赤シャツの上に2枚多く着ていても寒かった。山の天候変化は注意が必要であることを実感した。
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 帰りのルートをナビで検索したら往路と同じく北陸道経由であった。渋滞予測するナビなのでやはり最短の中央道経由は渋滞するのだろう。中央道では過去2回スピード違反で覆面パトに御用になったことがあり、中央道と山梨県警は相性が悪いのでナビが選定した北陸道経由で帰ることにした。
 途中、亀谷温泉で温泉に入り富山市内で昼食をとった。北陸道から上信越道に入り佐久平PAまでは順調だったがそこから先は断続的な渋滞で自宅に着いたのが22時であった。明日は仕事で5時30分に起きなくてはならいが、この前山梨に行った時に買ったワインを飲んだ。つまみはなかったがおいしかった。疲れた。飲んだらすぐ眠れた。

 私の思う快適な登山の条件は、①天気晴れ、②混雑なし、③渋滞なしである。今回山小屋は混雑、登山口までの往復は渋滞であったが、①の天気が良くてその景観があまりにも素晴らしく山小屋が混雑しようが、渋滞で帰りがおそくなろうが十分満足でき、後々まで忘れることのできない山行となった。
 天気が良かったのは日程の設定が良かったからだが、山の専門天気予報を知らなかったらおそらく12日(土)に登っていて暴風雪に遭遇していただろう。山の天気の気象予報士猪熊隆之さんありがとう。
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雨の十二ヶ岳 [山行]

○平成25年10月5日(土)
自宅4:00-7:10毛無山登山口7:40-8:00標高1030m 8:10-9:25毛無山-9:40-10:45キレット10:45-11:25十二ヶ岳11:30-12:50県道21号線12:50-13:10毛無山登山口-山中湖泊
歩行距離:8.2km 所要時間:5時間15分(歩行:5時間 休憩:15分)
走行距離:370km

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 9月28日に塔ノ岳に行ったが、8月の男体山以来一ヶ月ぶりだったのでかなり足にきていて筋肉痛が4日後まで続いた。12日~14日の連休に北アルプス薬師岳を予定しているので、体がなまらないよう山に行くことにした。
 天気はどこも良くないので雨を覚悟しなければならない。山中湖に気に入った温泉ホテルがあったので、ホテルの温泉で雨に濡れた体を温めるのも良い。ついでにサウナに入り、ビールを飲んでそのまますぐ寝るのも良い。翌日は勝沼のワイナリーに寄ってワインの試飲をし、うまいワインだったら買って帰るのも良い。よって下山後ホテルに泊まることにした。宿泊予定のホテル近郊の山を色々探した結果、西湖の北側にある毛無山から十二ヶ岳を行くことにした。

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 自宅を4時に出発。首都高、中央道、大月ジャンクションから河口湖方面へ向かい河口湖ICで高速を下りて国道139号、県道714・21号を経て毛無山登山口の駐車場に着いたのが7時10分であった。最初はこの駐車場を通り過ぎて文化洞トンネルの向こう側に行ってしまい時間をロスしてしまった。

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 やはり雨だった。久しぶりにレインウエアを着て、7時40分この登山口から登り始める。

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 樹林帯の中を行く。歩いているのは私達夫婦だけ、駐車場も私たちの車だけだった。あまり人が通っていないらしく登山道は木の根が露出することもなく、地表も登山靴で削られていなっかった。結局この日は、駐車増に戻るまで歩いている人とは誰一人とも行き会わなかった。

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 出発してから1時間30分ほどで毛無山頂上前の視界の開ける場所に着いたがあいにくの雲の中である。晴れた日はここから河口湖が見えるのだろう。選挙期間中なのだろう「○○をよろしくお願いします。」とのウグイス嬢の声がマイクを通してやけに鮮明に聞こえていた。

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 9時25分、毛無山に着いた。相変わらず雨が降っている。ガイドブックには毛無山山頂は見晴らしの良い絶景の地とあるが今日は望むべくもない。

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 毛無山を少し下ってそこから小ピークに登ると一ヶ岳という標識が設置されていた。また少し下って上がると二ヶ岳の標識があった。この調子で十二ヶ岳まで順々に同じような標識がついていた。

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 十ヶ岳の標識はピークでなく鞍部に設置されており無理矢理十二にするためにつけたような感がある。
 ここまでは比較的楽だった。この調子ならだいぶ早く十二ヶ岳に着けそうだと思ったが甘かった。

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 十一ヶ岳の登りからは岩場であった。ロープ、鎖がついていたが、雨なので岩は滑る、ロープは握ると水がしみ出してしかも滑る、鎖も滑る。気をゆるめると危ないので集中して進む。

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 十一ヶ岳を下ると吊り橋が架かっていた。吊り橋の歩く部分はアルミでできており途中から折れ曲がっていた。折れ曲がった頂点に岩があったので、この岩が落ちて橋に当たり折れ曲がったようだ。もっと大きな岩だったら吊り橋は壊れたに違いない。オーコワッ。

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 揺れる吊り橋を渡り、最後の十二ヶ岳への岩場を登りきると十二ヶ岳へ100mの標識があった。標識に従って進み11時25分十二ヶ岳に着いた。相変わらず展望はない。長居は無用、早く温泉に入りたい、ビールを飲みたい、一路下山する。

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 十二ヶ岳直下はこのようなガレ場があったが、後は緩い傾斜の尾根道が続く。

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 キノコが生えていた。これはなめ茸だと思う。道の脇が掘り返されていた跡がそこかしこに見られたがたぶんキノコを取った跡なのだろう。なめ茸の他にもいかにも毒キノコらしいきれいな赤いキノコも生えていた。

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 トリカブトの花が咲いていた。雨に濡れたきれいだった。

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 立派な枝振りだったので思わず写真に撮ってしまった。

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 途中の分岐を文化洞トンネル方面に左に折れ山裾に沿ってしばらく進むといきなり県道21道に出た。登山口の標識もないので正規の道ではないかもしれない。

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 見えないがこの上方が十二ヶ岳。

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 文化洞トンネルが見えた。この向こうが登山口である。行きはトンネル上の尾根を登ったのだ。今日は膝痛もなく調子は良かった。後は、温泉、サウナ、ビールである。

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 翌日は晴れ。勝沼にあるワイナリーの原茂ワインに寄り昼食を食べ、ワインを試飲しおいしかったので1本買った。薬師岳から帰ったら飲むことにする。

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大倉~三ノ塔~塔ノ岳~大倉 丹沢表尾根周回コースを行く [山行]

○平成25年9月28日(土)
自宅4:00-5:35大倉バス停6:30-7:00三ノ塔登山口7:10-8:00牛首8:10-9:10標高990m 9:20-9:50三ノ塔10:40-11:10鳥尾山11:10-11:55行者ヶ岳11:55-12:20新大日12:30-13:05塔ノ岳13:10-13:40立花山荘13:40-14:15堀山の家14:25-14:40駒止茶屋14:40-15:10見晴茶屋15:15-15:35観音茶屋15:35-16:00大倉バス停-自宅
歩行距離:16.3km 所要時間:9時間30分(歩行:7時間40分 休憩:1時間50分)

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 丹沢は今回で通算21回目となる。還暦を過ぎると体力は落ちる一方なので体力維持のため登るようにしているが、体力増強まではいかず維持で精一杯である。今年は9回目となる。大倉から塔ノ岳ピストンが多かったが、10月の連休に北アルプス薬師岳を予定しているので、トレーニングを兼ね三ノ塔から塔ノ岳を経て大倉に戻る周回コースを行くことにした。
 

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 朝食をすまし自宅を4時に出発。首都高、東名高速を経て大倉にある民間有料駐車場に着いたのが5時35分。この駐車場は収容台数37台と比較的少なく7時頃には満車になるので早く着くのにこしたことはない。妻がまだ寝たいというので車で少し仮眠し6時30分出発。

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 右の頂が三ノ塔尾根の突端、ここを登る。左の尾根が大倉尾根、通称バカ尾根でここを下ってくる。大倉尾根の上に鍋割山が見える。

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 水無川に架かる人道橋、風の吊り橋を渡る。水無川は最終的に酒匂川となって小田原市内を通り相模湾にそそいでいる。
 天気は快晴早く登って展望を見たい。
橋を渡り右に折れコンクリート舗装の林道を行く。このルートは三ノ塔へのサブルートなので、人が少なく三ノ塔まで二人しか出会わなかった。

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 30分ほどで林道経由と登山道経由の分岐点に着いた。登山に来たので登山道経由で行くことにした。

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 緩い傾斜の尾根道を1時間歩き再び林道と合流し牛首に着いた。林道はここで通行止めとなっていた。

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 こんな感じの登山道が続く。

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 木道、階段などが老朽化しているので改修工事をしているらしい。ふと気がつくと登山道の所々にオレンジ色のテープとラベルがついている。

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 よく見ると改修工事の番号と必要な資材が記してあった。このテープとラベルは塔ノ岳までついており番号は250番台となっており、改修は250箇所程度行われるらしい。

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 改修用の丸太が荷揚げされていた。この丸太は背負子を使って人力で荷揚げされるのだ。三ノ塔でこれらを荷揚げした人たちが休んでいた。

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 三ノ塔に近くになると急登となりこれを登りきると視界が開け、9時50分三ノ塔に着いた。360度の展望、今までで最高の丹沢の景観だ。カメラではこの感動を表現するのは難しい。一応パノラマ写真にしてみた。正面に富士山、右に塔ノ岳、そこから左にら伸びる尾根が大倉尾根、その向こう側に鍋割山からの尾根が見える。富士山の裾野の左にある山塊は愛鷹山、その手前の山塊が箱根の山々で一番左に金時山が見える。

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 さすがに人が多かったがその中に登山道改修用の丸太を荷揚げしている人達が一服していた。大変な仕事だと思う。下世話な話だが日当はいくら位もらっているのか気になった。

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 三ノ塔に咲いていた大薊の花。高さは1m位になるらしい。

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 三ノ塔から鳥尾山を望む。
 三ノ塔で昼食をとり10時40分、鳥尾山に向かう。

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 行者ヶ岳から鳥尾山を望む。奥が三ノ塔だが、塔というよりお椀みたい。なぜ塔なのだろうか調べたら、昔神様がこの付近の頂、三箇所に神燈を灯してそれぞれ一ノ燈、二ノ燈、三ノ燈と云われていたが、いつしか燈が塔に転訛したとのことだ。

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奥が天下の険、箱根山。
 日本の大動脈、JR東海道線、東名高速道は箱根山を突っ切ることはできず迂回している。JR東海道線は箱根山の南側、写真の左方向で海側へ迂回し熱海で方向を右に変え丹那トンネルを通り三島へ至る。東名高速は箱根山の北側、写真の右方向へ迂回し御殿場を経て三島に至る。なお昭和9年の丹那トンネル開通前は今の御殿場線が東海道線として使用されていた。
 丹那トンネルは大変な難工事で、トンネル上部の丹那盆地の水を枯らし、事故で67人が死亡し完成までに16年を要した。文字通りの命がけの工事だった。(吉村昭著「闇を裂く道」を読むとよくわかる。)

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 鎖場もある。

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 13時5分、やっと着いた塔ノ岳。後ろは大山。腹が出てる、今度から腹を引っ込めて写真を撮ろう。

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 塔ノ岳から見た富士山。
 富士山山頂と雲が重なり噴火したように見える。(なにこれ珍百景に投稿してもダメかな。)

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 花立山荘からの下り階段。まだ先は長い。

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 堀山の家に着いた。先は見えた。

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 堀山の家にこのポスターが貼ってある。超人、塔ノ岳登頂4,000回の人。私も3回お会いしたことがある。ラジオを鳴らしながら登っていた気さくなおじさんだ。
 私は通算21回登ったが、この他にも私なんか足下にも及ばない人が多数丹沢にいる。ただただ驚くばかり。

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 観音茶屋へ着いた。残りわずかだが、膝も痛く足はへろへろ、膝から下に力がはいらず心許ない。なるべく歩幅を小さくして歩く。

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 16時、大倉バス停到着。疲れた。

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 とろろそばを食べた。二種類のそばが食べられおいしかった。
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平ヶ岳登りました [山行]

○行程・コースタイム
7月19日
 自宅19:00 - 関越自動車道小出IC - 23:20鷹ノ巣
7月20日
 鷹ノ巣4:15 - 5:10標高984m5:20 - 6:50下台倉山7:00 - 7:55台倉山8:00 - 8:55白沢清水 9:05 - 10:10池ノ岳10:20 - 10:50平ヶ岳11:40 - 12:55白沢清水13:10 -113:55台倉山14:00 - 14:50下台倉山14:55 - 15:55標高1177m16:10 - 15:55鷹ノ巣17:05 - 19:10清水屋旅館
7月21日
 清水屋旅館9:00 - 東北自動車道西那須IC - 自宅

○平成25年7月19日(金)19:00自宅出発。
 妻と二人で平ヶ岳に向かう。東関東自動車道から首都高に入り多少渋滞に巻き込まれたがこの時間帯なら仕方がない。圏央道手前から渋滞解消し関越自動車へ。眠いがひたすら走りに走り小出ICに22:50に着いた。国道352号から奥只見シルバーラインへ入る。トンネルが連続しておりナビの表示では日光岩トンネル内で右折することになっているが、トンネルの中ではGPS衛星の電波をキャッチできずジャイロで案内している。このため車の現在地がずれ右折地点過ぎてから「右折です。」の案内音声が聞こえ行き過ぎてしまった。しばらく行っても待避所などないので、仕方無くトンネル内で何度も切り返してUターンしたが、真横になって切り返している途中、他の車が突っこんできはしないかと思わず心配になった。
 再び国道352号と合流し奥只見湖沿いの道路を走る。奥只見湖が朝鮮人参の根っこような形なのでこれに沿った道路も直線部がなくカーブの連続であった。道路が狭く対向車が来たらすれ違いができないので、結構神経を使い眠気はなくなった。
鷹ノ巣についたのは23:50。駐車場がほぼ満杯状態だったが最後のスペースに駐車できた。車の中で仮眠。
 3:00、周囲がザワザワしだして他の車のルームランプが点灯していた。私たちも起き出し、朝食を食べ、身支度を整え、トイレをすませ出発の準備を終えたら4:15になった。
 駐車場沿いに桧枝岐方面へ進み駐車場そばの登山口を右に入る。平坦で車1台が通れるくらいの幅の道が続き、下大倉沢を渡ると道は狭く登山道らしく傾斜もきつくなってくる。
繁みの中をしばらく登ると視界が開け左側に燧ヶ岳が見え思わず「オー」という声がでる。この燧ヶ岳を常に左に見ながら登るようになる。天候は高曇りで日射が遮られているのであまり暑くならずよかった。

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 6月に登った人が笹が生い茂って道が見えなく苦労したとのリポートをネットで見た。てっきり藪こぎがあると覚悟をしていたが、山開きにあわせ道の両側はの藪は刈られて整備されていた。整備していただいた方に感謝である。

 平ヶ岳は二回目の挑戦である。一回目は2年前の平成23年8月だった。桧枝岐方面から鷹ノ巣を目指したが、大雨の影響で鷹ノ巣登山口の手前2kmで道路が流されていた。仕方ないので会津駒ヶ岳に登った。

<通行止め01.jpg
  二年前の通行止めの状況です。

 平ヶ岳のルートは二つある。一つは皇太子様のために整備されたと言われるショートカットルート中ノ岐林道コースで民宿に泊まると林道を延と走りマイクロバスで送迎してくれる。この中ノ岐林道コースは5、6時間程度往復できるらしいが林道は一般車両は通行止めである。もう一つは鷹ノ巣からのノーマルルートだがこれがキツイ。距離は往復21kmで、所要時間は12時間としているガイドブックもあった。一応百名山を目指している身としては個人的なこだわりもある。それにノーマルルートを登った方が威張れそうなので鷹ノ巣ルートを登ることにした。他の百名山、伊吹山では頂上直下まで観光道路ができているが麓のスキー場から登った。筑波山でもロープウェイは乗らなかった。那須岳は最初ロープウェイに乗ったので後日ロープウェイを使わず登りなおした。だから平ヶ岳もノーマルルートである。

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 急登の台倉尾根を登りきり下台倉山に着く。ここまで休憩を入れ2時間35分かかった。昭和27年生まれ、中高年真只中の私はだいぶ体にガタがきている。特に弱点は膝で下りになってからズキズキと痛くなりストックは必需品である。幾多の膝痛の経験から無理すると痛くなるということがわかった。対策として、下りだけでなく登りでもゆっくり歩き足の親指の付け根から地面につくようにしている。これは効果があるような気がしている。今回は特に長丁場なので10kmもの下りを痛い膝をかばいながら歩きたくない。意識してゆっくり歩き、前を行く人がよほど遅くない限り追いつかないようにした。

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 下台倉山と台倉山の標高差はあまりない。小さなアップダウンを繰り返し1時間程度で台倉山に着いた。台倉山には標識らしきものはなく三角点が設置されていた。周囲を見渡すと木の枝に台倉山と書かれた札がぶら下がっていた。
 ここから先は灌木帯の中となり木道が敷かれている。

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 この木道が笹に隠れしかも濡れていると滑りやすく転んで泥だらけになったとか、ストックを壊したなどのレポートを読んだ。この対策として前日靴の滑り止めを買いに行ったが、登山道が整備され木道も露出し乾燥して歩きやにすく滑り止めを使用しなくてすんだ。白沢清水まで1時間で着いた。湧水というより水溜りに近いので飲む勇気はなかった。

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 白沢清水からしばらく行くと灌木帯がきれ視界がひらけ、池の岳が正面に現れその左側に緩い曲面の平ヶ岳が見えた。

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 目標が見えると元気がでる。池の岳までは笹の中の比較的な急な道である。道は二筋ついており、一方は道の跡が雨水により侵食されて腰までの深さでえぐれている箇所もあった。これは旧い方の道である。新しい道は笹が刈られた跡だが茎が残っており、雨が降ったら濡れて滑りやすく特に下りでは大変歩きづらいくなるようだと思いながら、笹の茎を踏みしめて登っていく。池ノ岳を越えると湿原が広がっており今までとは違う別世界だった。

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 玉子石への分岐点を過ぎ30分位で平ヶ岳に着いた。時刻は10:55、休憩をいれ6時間40分、実働で5時間55分かかった。山頂付近に三角点がありここの標高は2139.6mである。三角点のそばに「平ヶ岳2141」と記した標識があるがここは本来の頂上ではない。

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 三角点から200m程度先が標高2141mの本当の頂上である。山頂からは燧ヶ岳、会津駒、が見えた。天気は良く展望もすばらしい。木のテラスの上で、昼食を食べゴロリと横になり1時間近く至福の時間を過ごした。

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 いつまでもいたかったがそうもいかない。11:40頂上出発。玉子石は時間の都合でパスした。来た道を折り返し黙々と歩く、池ノ岳、白沢清水と進み台倉山に着いたら、登ってきた台倉尾根がよく見えた。登りの時は後ろを振り返らなかったが、改めて見るとかなりな急傾斜の尾根である。そういえば山頂で「日本100急登を登っている。」という人がいた。平ヶ岳の台倉尾根もその一つで他には谷川岳の西黒尾根なんかがそうだといっていた。なんにしても目標を決めそれに向かって行動するのは良いことである。
 雲がとれ直射日光に照らされる。日焼けしそうである。下台倉山から台倉尾根の下りにかかる。膝の痛みはない。ここでこけると元も子もないので気合をいれ集中して下る。痩せ尾根を過ぎると傾斜は徐々に緩くなり登ったときの印象を思い出しながら下りようやく下大倉沢に着いた。気を張って下ったのでかなり疲れた。ここからは平坦な道だがこの道が登ったとき以上に長く感じた。16:55鷹ノ巣着。
 下りは休憩を含め5時間15分、実働4時間35分、往復では休憩含め12時間40分、実働10時間30分であった。きつい山行だったがなんとか無事に終えることができた。
 後は、温泉に入り汗を流し、ビールを飲むだけだ。帰りは国道35号を桧枝岐方面に向かった。宿泊場所をネットで検索した結果この付近で見つけたのが福島県南会津郡南会津町にある清水屋旅館である。
 夫婦で経営している。前回きた時に宿泊し親切でリーズナブルだったので今回も宿泊することに決めた。道路も新潟方面に比べ走りやすかった。

 清水屋旅館で一泊した翌日、東北自動車道経由で自宅に帰った。千葉、東京、埼玉、群馬、新潟、福島、栃木の一都六県678.1kmに渡る旅であった。


 今回は鷹ノ巣ルートを登った。中ノ岐林道コースよりは厳しく正規ルートである。中ノ岐林道コースは邪道ルートという人もいる。しかし深田久弥が日本百名山を登っていた時代は最終バス停から三日かけて登り、二日かけて下山したのだ。その時代の人にすれば鷹ノ巣ルートなどは楽チン邪道ルートというかも知れない。
 百名山を登った人はそれぞれ苦労して登ったに違いない。しかし交通の便がよくなり、登山道が整備され、観光道路は頂上近くまで伸び、ロープウェイで高みまで行けるとなると百名山登頂のハードルは低くなっている。人が滅多に通らない荒れた登山道しかなく麓から苦労した人は同じ百名山を登ったとしても同レベルで見られたくないだろう。苦労の度合いが違うからだ。
 私も同じだ。今回鷹ノ巣ルートを登ったことにより、楽チンルートの百名山登頂者に対し一種の優越感を持ちたいだけなのだ。俺は鷹ノ巣ルートから平ヶ岳に登ったと。往復五日かけた深田久弥の時代と比較すると低レベルの自己満足であるが。
 当たり前であるが百名山の登り方は色々あっていいと思う。常に最短距離、最短時間であらゆる交通機関を使う楽チン登山もある。全山を最短期間で登る人もいる。海の上は別にしてアプローチも含め全山歩き通す人もいる。楽チン登頂の極みとして全山ヘリコプターで行く人もいるかもしれない。またイモトのように下りはヘリコプ
ターもありだろう。全山日帰りをしている人もいる。逆立ちで登る人、片足ケンケンで登る人(いないか)、おんぶされて登る人(赤ん坊ならありえる)、最年長百名山登頂を目指す人も現れるかもしれない。
 今までは「百名山に登った。」と聞くと単純にすごいなと感心したが、これからは「百名山に登った。」「へえーどうやって登ったの」と聞いてから感心するなり、感心しないなりしなくてはならない。
 私のこだわりは、ツアーは使わず自分で計画しノーマルルートを登るである。苦労と感動は等価である。苦労すれば比例して感動も大きい。山から下りてきて温泉に入り(サウナがあればもっとよい。)その後飲むビールは最高である。本当に山に登って良かった。生きていて良かった。生まれてきて良かった。お父さん、お母さん
ありがとうである。山は両親への感謝の念ももたらすのだ。
 お前はビールのために登るのかと言う人がいるかもしれないが、そのとおりである。私はうまいビールを飲むために百名山を登るのだ。残る百名山は、斜里岳、十勝岳、幌尻岳、黒部五郎岳、水晶岳、薬師岳、悪沢岳、赤石岳、聖岳、光岳、富士山、霧島岳、開門岳、宮之浦岳の14座である。あと14回も最高のビールが飲める。人生は楽しい。
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